多くのAIオーディオモデルは、西洋音楽の音階やリズムを前提に設計されています。しかし、中東を中心に受け継がれてきたアラビア音楽の「マカーム(maqam)」のような豊かな音楽文化は、これまでほとんど反映されてきませんでした。こうした状況の中、チーム「Motif」が、生成AI音声モデル「Stable Audio 3.0」をアラビア音階に最適化し、さらにマイクロトーン(微分音)を扱えるAbleton用プラグインを開発。Music Hackspaceで開催された「Stable Audio 3.0 Challenge」で優勝し、AI音楽の新たな方向性を示しました。
プロジェクト概要と受賞の背景
Stable Audio 3.0をアラビア音階「マカーム」に特化して微調整
チームMotifは、音声生成モデル「Stable Audio 3.0」を、アラビア伝統音楽で用いられるマカームに特化する形でファインチューニングしました。マカームとは、西洋の長調・短調とは異なる独自のスケール体系で、音と音の間をさらに細かく分割したマイクロトーンを特徴とします。Motifは、この複雑な音階構造をAIに学習させることで、従来のAIモデルでは表現が難しかったアラビア音楽特有のニュアンスを再現しようとしました。
Music Hackspace主催「Stable Audio 3.0 Challenge」で優勝
この取り組みは、音楽系コミュニティであるMusic Hackspaceが開催した「Stable Audio 3.0 Challenge」に出品され、見事優勝を果たしました。審査では、技術的な完成度に加え、「これまでAIが十分にカバーしてこなかった音楽文化をどのように取り込んでいるか」という観点も評価のポイントとなりました。ローカル環境で動作することも大きな特徴で、クラウドに頼らず手元のマシン上で高度な音楽生成が可能な点が注目されています。
ローカル動作の意義:創作現場での即時フィードバック
モデルがローカルで動くことにより、インターネット接続に依存せず、レイテンシーの少ない実験やライブパフォーマンスが可能になります。特にAbletonのようなDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)と組み合わせる場合、演奏しながら即座にAI生成のフレーズやサウンドを試せることは、制作ワークフローにとって大きなメリットです。セキュリティ面でも、データをクラウドに送信せずに完結できる点は、プロの現場にとって安心材料となるでしょう。
マカームとマイクロトーン:AIが向き合う新しい音楽言語
マカームとは何か:西洋音楽とは異なるスケール体系
マカームは、中東や北アフリカなどのアラビア音楽で用いられる音階・旋法の体系です。単に音の並びだけでなく、「どの音から始め、どの音に落ち着くか」「どのように音を装飾し、移行させるか」といった運用ルールも含んだ総合的な概念です。西洋音楽理論で言う「モード」に近い部分もありますが、より細やかなピッチの違いや感情表現のニュアンスが重視されます。
マイクロトーン(微分音)がもたらす表現の豊かさ
西洋音楽では、1オクターブを12の半音に分割する「12平均律」が標準ですが、マカームではその間をさらに分割した「マイクロトーン」が頻繁に使われます。例えば、「半音よりも少し高い」「半音よりも少し低い」といった微妙な音程差が、特定のマカームの個性や、哀愁・高揚感といった感情を表現する鍵になります。こうした微妙な音程差を扱えるかどうかは、アラビア音楽の自然さを再現するうえで極めて重要です。
AIオーディオモデルが苦手としてきた領域
多くの既存AIオーディオモデルは、大量の西洋ポップスやクラシックを中心としたデータで訓練されているため、12平均律の前提から外れる音楽には対応しづらいのが現状です。その結果、マカームのようなスケールを入力しても、AIが自動的に「西洋的な音階」に補正してしまい、独特のニュアンスを損なうことがありました。Motifの試みは、こうした「見えないバイアス」を是正し、AIが多様な音楽文化を理解・表現できる方向へと一歩踏み出したものといえます。
Abletonプラグインとマイクロトナル・スタイル転送の仕組み
Ableton連携プラグインでマイクロトーンを手軽に扱う
Motifは、Stable Audio 3.0のマカーム対応モデルと連携するAbleton用プラグインも開発しました。これにより、プロデューサーや作曲家は、いつものAbleton環境からマイクロトーナルな音階を呼び出し、AIが生成したフレーズやサウンドを即座に楽曲制作に組み込むことができます。複雑な音律設定を手動で行う必要がなく、プラグイン側がマカームのスケールやピッチ情報を管理してくれる点が大きな利点です。
「スタイル転送」としてのマイクロトーナル生成
今回のプロジェクトで注目されるのが、マイクロトーンを「スタイル転送」の一部として扱っている点です。もともとスタイル転送という概念は、画像分野で「写真にゴッホ風のタッチを移す」といった用途で知られてきましたが、音楽でも「ある文化の音階・リズム・フレージングを、別の素材に適用する」という形で応用が進んでいます。Motifのプラグインは、Stable Audio 3.0が生成するサウンドに対して、マカーム特有の音程やニュアンスを後から付与することで、既存のトラックにもマイクロトーナルな色彩を加えられる可能性を示しています。
ローカル環境でのクリエイティブな実験が容易に
プラグインとモデルがローカルで動作することにより、プロデューサーはネットワーク環境を気にせず、試行錯誤を重ねることができます。たとえば、通常の西洋ポップスのコード進行にマカーム的な旋律を重ねたり、映画音楽のサウンドトラックに中東的な雰囲気を加えたりといった実験が、低遅延でインタラクティブに行えます。こうした環境は、新しいジャンルやクロスオーバー作品を生み出す土壌となるでしょう。
文化的多様性とAI音楽の未来
AI音楽モデルにおける「グローバル標準」からの脱却
今回のMotifの成果が示すのは、AI音楽モデルにおける「西洋中心の標準」からの脱却です。これまで多くのAIシステムは、英語圏・西洋圏のデータを前提に発展してきましたが、世界にはそれ以外にも膨大な音楽文化が存在します。マカームをきっかけとして、インド古典音楽のラーガ、東アジアの音律、日本の雅楽や民謡など、各地域固有の音世界をAIがどこまで理解し、共創できるかが今後の重要なテーマとなりそうです。
クリエイターにとっての実務的メリット
実務的な観点から見ると、このようなマイクロトーナル対応のAIモデルは、次のようなメリットをクリエイターにもたらします。
- アラビア音楽を取り入れたサウンドトラックやゲーム音楽制作の効率向上
- ワールドミュージックやクロスオーバー作品での実験的なフレーズ生成
- 音楽教育におけるマカームのデモンストレーションや教材生成
- ライブパフォーマンスでのリアルタイムなマイクロトーナル・エフェクト
とくに、アラビア音楽圏以外のクリエイターにとっては、マカームをゼロから理論的に学ばなくても、AIのサポートを受けながら徐々に耳と感覚を慣らしていくことができる点が魅力です。AIを通じて異文化の音楽に触れ、それを自らの作品に取り入れる入り口として機能するでしょう。
まとめ:AIは多様な音楽文化の「通訳」になれるか
チームMotifによるStable Audio 3.0のマカーム対応と、Ableton用マイクロトーナル・スタイル転送プラグインの開発は、AIが単なる自動作曲ツールを超え、「異なる音楽文化同士をつなぐ通訳」のような存在になりうることを示しています。西洋音階を前提としない音楽をきちんと理解し再現できるAIが増えれば、クリエイターはより自由に世界中の音楽言語を組み合わせ、新しいサウンドを生み出せるようになります。今後、他の地域の音楽体系にも応用が進めば、AI音楽の風景はさらに多様で刺激的なものになっていくはずです。





